James Knox Polk

アメリカの歴代大統領の中で、わずか1期4年で国の姿を大きく変えた人物がいます。
それが第11代大統領、ジェームズ・K・ポーク(James Knox Polk, 1795年11月2日 – 1849年6月15日)です。
彼の在任中、アメリカは領土を劇的に拡張し、東の大西洋から西の太平洋へとその版図を広げました。
まさに「マニフェスト・デスティニー(明白な天命)」――神が与えた西方拡張の使命――を体現した大統領だったのです。
静かな青年から「鉄の執念」を持つ政治家へ
ポークは1795年、ノースカロライナの農家に生まれました。
内向的で真面目な少年でしたが、学問に励み、ノースカロライナ大学を首席で卒業。
その後テネシー州で弁護士となり、政治の道へと進みます。
彼が政治で最も影響を受けたのは、第7代大統領アンドリュー・ジャクソン。
ポークは「ジャクソンの忠実な弟子」として知られ、強い大統領権限と民主主義的理念を掲げました。
下院議員として頭角を現し、やがて下院議長、テネシー州知事を歴任。
そして1844年、予想外の展開で大統領選の民主党候補に選ばれることになります。
「54度40分まで取るか、戦うか」──領土拡張の野心
当時のアメリカは、
- 北西部のオレゴン領(現在のオレゴン州・ワシントン州)をめぐるイギリスとの争い
- 南西部のテキサス併合問題(メキシコとの緊張)
など、国境問題で揺れていました。
ポークは選挙で「54°40′ or Fight!(54度40分線まで取るか、戦うか)」をスローガンに掲げ、
大胆な拡張政策を主張します。
結果的に、彼はアメリカ史上最も領土を拡張した大統領となりました。

米墨戦争とカリフォルニア獲得
1846年、ついにメキシコとの間で戦争が勃発します。
米墨戦争(Mexican–American War)です。
この戦争でアメリカは勝利し、1848年のグアダルーペ・イダルゴ条約によって、
- カリフォルニア
- ネバダ
- ユタ
- アリゾナ
- ニューメキシコ
など、広大な地域を手に入れました。
アメリカは初めて太平洋に面する国となり、のちの西部開拓時代の幕が開きます。
経済と行政の安定化にも尽力
ポークの関心は領土拡張だけではありません。
彼は国内経済の健全化にも力を注ぎました。
- 関税を引き下げるウォーカー関税法を制定
- 政府資金を独立して管理する独立財政制度を復活
このように、堅実で実務的な改革を進め、「仕事をやり遂げる大統領」として評価されます。
また、彼は最初から「1期で退任する」と公約し、
実際にその通り4年間でホワイトハウスを去りました。
大統領職に執着しなかった潔さも、ポークらしい一面です。
南北戦争への影
ただし、ポークの成果は一方で深刻な対立の種も残しました。
新たに得た広大な領土で、奴隷制を認めるかどうかという問題が浮上し、南北の溝が深まっていきます。
彼が切り開いた「偉大な拡張」は、やがて南北戦争へとつながる道でもあったのです。
退任
1849年3月、ポークは任期を終えて政界を引退しました。
しかしそのわずか3か月後、コレラに感染して急逝。享年53歳。
生涯を国家のために捧げ、まさに燃え尽きるような人生でした。
歴史に残る「仕事人」大統領
ジェームズ・K・ポークは、華やかでも派手でもありません。
しかし彼ほど「やると決めたことをすべて成し遂げた」大統領はいないと言われます。
- 領土拡張
- 経済改革
- 行政の整備
この3つの公約を4年で完遂し、再選を求めず去っていった彼の姿は、今なお「最も有能な1期限りの大統領」として語り継がれています。