James Arthur “Jim” Lovell Jr.
ジェームズ・アーサー・“ジム”・ラベル・ジュニア(James Arthur “Jim” Lovell Jr.、1928年3月25日-2025年8月7日)は、アメリカ航空宇宙局(NASA)の宇宙飛行士として、特にアポロ13号の船長としての経験で広く知られる人物である。彼は米海軍パイロットとしての優れた飛行技術を基盤に、NASAのジェミニ計画およびアポロ計画において重要な役割を果たし、人類の宇宙探査史に大きな足跡を残した。
初期の経歴とNASA入り
ラベルはウィスコンシン州ミルウォーキーで生まれ、幼少期から航空機やロケットに強い関心を抱いていた。海軍兵学校を卒業後、米海軍パイロットとして活躍し、ジェット戦闘機の運用や長距離航法に習熟した。1962年、NASAはジェミニ計画とアポロ計画に備えた第二期宇宙飛行士選抜を行い、ラベルはその一員として採用された。彼の精密な操縦技術と冷静沈着な判断力は、NASA内部でも高く評価されていた。
ジェミニ計画での活躍

ラベルの最初の宇宙飛行は、1965年12月に行われたジェミニ7号である。司令官フランク・ボーマンと共に14日間にわたり地球周回軌道を飛行し、当時最長の有人宇宙滞在記録を樹立した。このミッションは、長期間の無重量環境が人体に及ぼす影響を調べる重要な実験であり、アポロ計画の月飛行に必要なデータ収集に直結した。さらに、ジェミニ6号との初の有人宇宙船ランデブーを成功させ、将来の月軌道ランデブー技術の礎を築いた。
2回目の飛行は1966年11月のジェミニ12号で、バズ・オルドリンと共に船外活動(EVA)の実証試験や精密ドッキング操作を行った。この成功は、月着陸船の運用や船外作業手順の確立に大きく貢献した。
アポロ計画での任務

ラベルはアポロ8号(1968年12月)で司令船パイロットを務め、人類史上初めて月の周回軌道に入ったクルーの一員となった。司令官フランク・ボーマン、月着陸船操縦士ビル・アンダースと共に、月面を間近に観測し、地球の出(Earthrise)を撮影するなど、宇宙探査の象徴的瞬間を残した。このミッションは、アポロ11号の月着陸に向けた重要な前段階となった。
そして1970年4月、ラベルは自身4度目の宇宙飛行であるアポロ13号の船長として打ち上げられた。月着陸を予定していたが、飛行中に酸素タンクが爆発し、計画は一変。船内の電力や酸素が急速に失われる中、ラベルはクルーの生還を最優先に指揮を執った。地上のミッションクルーと緊密に連携し、月着陸船を「救命ボート」として活用する緊急運用を成功させ、72時間以上に及ぶ危機を乗り越えて地球への帰還を果たした。この出来事は「成功した失敗(Successful Failure)」と呼ばれ、NASAの危機管理能力とチームワークの象徴として語り継がれている。
NASA退任後と評価
ラベルは1973年に海軍とNASAを退職し、その後は民間企業の経営者や講演活動を通じて、宇宙探査の意義やリーダーシップの重要性を広めた。また、自伝『Lost Moon』(ロン・ハワード監督による映画『アポロ13』の原作)では、自らの経験を詳細に記録している。
業績と影響
ラベルは、ジェミニ計画とアポロ計画の両方で複数回飛行した数少ない宇宙飛行士であり、合計飛行時間は715時間以上に及ぶ。特にアポロ13号での冷静な判断と指揮能力は、宇宙飛行士としてだけでなくリーダーとしての資質を証明した。彼の業績は、有人探査における技術的挑戦と人間的判断力の両立の重要性を示すものであり、現在のNASAや民間宇宙開発にも受け継がれている。
総じて、ジム・ラベルは単なる「月を目指した男」ではなく、危機に直面した際にチームを導き、無事帰還へと導いた象徴的存在である。その生涯とNASAでの業績は、人類が宇宙へ進出する過程において欠かせない歴史の一部となっている。
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