
アメリカ合衆国の開拓時代を語るとき、「ジョニー・アップルシード」という愛称で知られる人物の名がしばしば登場する。本名をジョン・チャップマン(John Chapman, 1774年9月26日 – 1845年3月18日)といい、彼は18世紀末から19世紀前半にかけて中西部を放浪し、リンゴの苗木を植え広めた人物である。実在の人間でありながら、死後は民話や児童文学の中で伝説化され、アメリカ文化を象徴する存在の一人となった。
幼少期と背景
ジョン・チャップマンは1774年、マサチューセッツ州レミンスターに生まれた。父ナサニエルは独立戦争に従軍した兵士であり、母は彼がわずか2歳のときに亡くなっている。厳しい時代の中で育った彼は、幼くして労働や移動を余儀なくされるなど、安定しない環境に置かれていた。後年、彼が質素な生活を選び、物質的な富に執着しなかった背景には、この幼少期の経験が影響していたとも考えられている。
苗木と開拓社会
青年期に入ると、チャップマンは西へと向かい、ペンシルベニアやオハイオ、さらにインディアナやイリノイなどのフロンティア地帯を移動する生活を始める。彼が持ち歩いたのは袋いっぱいのリンゴの種であった。当時のリンゴは現在のように甘い食用の品種ばかりではなく、多くは酸味の強い「シダーアップル」と呼ばれる種類で、主にサイダー(リンゴ酒)や酢の製造に用いられていた。飲料水が清潔でない地域が多かったフロンティアにおいて、発酵飲料であるサイダーは日常的かつ安全な飲み物であり、また保存性の高さからも生活に不可欠であった。つまりチャップマンの活動は、単なる慈善行為ではなく、開拓者の生活基盤を支える非常に実用的な貢献であった。
彼は無差別に種を蒔いたのではなく、川沿いや肥沃な土地を選んで小規模な苗床を作り、後に定住者が来た際に苗木を売ったり譲渡したりした。これは一種の投資活動でもあり、伝説に語られるように全てを無償で与えたわけではない。ただし、彼は利益を追求するのではなく、後払いを認めたり、払えない人には譲ることもあったとされる。この柔軟さと博愛的な態度が、人々の記憶に残る理由の一つである。
宗教的情熱と布教活動
チャップマンのもう一つの大きな特徴は、その強い宗教的信念である。彼はスウェーデンの神秘思想家エマヌエル・スウェーデンボルグの教えに基づく「スウェーデンボルグ派」の信者であり、放浪の旅の中でリンゴの苗を植えると同時に、この宗派の思想を広める活動を行った。彼は聖書や宗教書を携え、出会った人々に分け与えたり朗読したりしたと伝えられている。
このように、彼の旅は単なる農業普及ではなく、宗教的使命感に裏打ちされたものでもあった。質素で禁欲的な生活を送り、時には裸足で歩き、動物や昆虫をも傷つけまいとする慈悲深い姿勢を貫いたという逸話が多く残されている。実際の姿には誇張も含まれるが、人々の目に「自然と共生する博愛主義者」と映ったのは確かであろう。
伝説化と民間伝承
チャップマンは1845年にインディアナ州で亡くなったが、死後すぐに彼は「ジョニー・アップルシード」として語り継がれるようになった。彼の質素な服装、鍋を頭にかぶって歩いたというユーモラスなイメージ、そして果樹を広めながら人々を助ける姿は、次第に寓話化されていった。19世紀後半には新聞記事や口承文学の中で彼の物語が膨らみ、20世紀には児童向け書籍や学校教育で広く紹介されるようになった。
こうして「ジョニー・アップルシード」は、実際の人物像を超えて「アメリカ開拓精神」の象徴的存在となった。彼の伝説は、荒野を歩きながら自然と人々をつなぎ、欲にとらわれず善意を施す理想像として描かれ、しばしばデイビー・クロケットやポール・バニヤンといったアメリカ的ヒーローと並び称される。
歴史的意義
第一に、彼の活動はフロンティア社会の基盤形成に具体的な役割を果たした。リンゴの苗は単なる果実の供給源にとどまらず、飲料や保存食料として開拓者の生活を支えた。第二に、彼の宗教的信念と自然観は、後に環境保護思想やアメリカ的牧歌主義の源流の一端とも結びついていく。第三に、実在の人物でありながら物語化され、国民的伝説となった点に、アメリカ文化特有の「人物を象徴へと昇華させる力」がよく表れている。
結び
ジョン・チャップマン、すなわちジョニー・アップルシードは、実際には苗木を売り歩く質素な放浪者であり、同時に宗教的情熱を胸に抱いた伝道者であった。しかし彼の死後、人々の記憶は彼を「リンゴを蒔いて歩いた善良な放浪者」として理想化し、その姿は物語や教育を通じて子どもたちの心に刻まれ続けてきた。今日、彼の名を耳にするとき、人々が思い浮かべるのは歴史上の細部よりも、むしろ「自然と人間の調和」「博愛とフロンティア精神」といった価値そのものである。ジョニー・アップルシードは、アメリカという国が自らの歴史を語る際に生み出した象徴的存在であり、伝説と現実が交差する地点に立ち続けているのである。
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