Fort Bliss

🏰 テキサス砂漠に広がるアメリカ陸軍の巨大基地
アメリカ・テキサス州の乾いた砂漠地帯に、世界でも有数の広さを誇る軍事基地があります。
その名は――フォート・ブリス(Fort Bliss)。
今ではアメリカ陸軍の要となる訓練拠点ですが、その歴史は170年以上前、米墨戦争の時代にさかのぼります。

🌵 リオグランデ川から始まった物語
1848年11月7日、アメリカ陸軍省はリオグランデ川沿いに新たな軍の駐屯地を設けました。これは、米墨戦争(Mexican-American War)の終結に伴い、新しく確定した国境を守るためのものでした。
最初は「リオグランデの基地(Post on the Rio Grande)」と呼ばれ、現在のメキシコ・シウダード・フアレス(旧エル・パソ・デル・ノルテ)近郊に設置されました。
この駐屯地の設立を指揮したのが、後にアメリカ大統領となるザカリー・テイラー将軍です。テイラーは米墨戦争の英雄として知られ、彼の参謀長であったウィリアム・ウォレス・スミス・ブリス中佐の名が、のちに基地名として残ることになります。

🪖 フォート・ブリスの誕生
基地は一度閉鎖されたものの、1854年に再び設立され、その際に「フォート・ブリス(Fort Bliss)」と命名されました。名前の由来であるブリス中佐は、テイラー将軍の右腕として活躍した人物であり、後にテイラーの娘婿となったことでも知られています。
この再設立により、フォート・ブリスはアメリカ南西部の防衛と国境警備の要として機能し始めました。
⚔️ 南北戦争と混乱の時代
1861年、南北戦争の勃発によりテキサス州は連邦を離脱。フォート・ブリスに駐屯していた連邦軍は南部連合軍に降伏を余儀なくされ、基地は一時的に南軍の手に渡りました。
南軍はここを拠点にニューメキシコやアリゾナ方面への進軍を試みますが、「グロリエタ峠の戦い(Battle of Glorieta Pass)」で敗北。撤退時には基地のほとんどが破壊されてしまいました。
1865年、戦争が終結してからようやく連邦軍が戻り、フォート・ブリスは再建されます。
🐎 西部開拓と「バッファロー・ソルジャー」
19世紀後半、アメリカが西部開拓を進める中で、フォート・ブリスは重要な役割を担いました。この時期に駐屯していたのが、黒人部隊として知られる「バッファロー・ソルジャー(Buffalo Soldiers)」です。
彼らは先住民との衝突地帯で防衛任務を遂行し、西部の治安維持やインフラ整備に尽力しました。フォート・ブリスはまさに、西部開拓時代の最前線だったのです。

🇲🇽 パンチョ・ビリャ遠征と第一次世界大戦
1910年代、メキシコ革命が激化する中、革命指導者パンチョ・ビリャ(Pancho Villa)がアメリカ国境を越えて襲撃を行いました。これを受けてアメリカ陸軍は「パンチョ・ビリャ討伐遠征(Punitive Expedition)」を開始します。
この遠征を指揮したのがジョン・J・パーシング将軍(John J. Pershing)で、彼はフォート・ブリスを拠点に作戦を展開しました。のちに彼は第一次世界大戦でアメリカ遠征軍(AEF)の総司令官となります。
🚀 第二次大戦とロケット開発の時代
第二次世界大戦中、フォート・ブリスは兵士の訓練施設として機能する一方で、ドイツ系・イタリア系・日系のアメリカ人の一部を収容する施設としても使われました。
戦後の1946年には、「ペーパークリップ作戦(Operation Paperclip)」でアメリカに連れてこられたドイツ人科学者たちがここに配属され、ロケット研究を開始。フォート・ブリスはアメリカのミサイル・宇宙開発の起点のひとつとなりました。
🎯 現在のフォート・ブリス
現代のフォート・ブリスは、アメリカ陸軍第1装甲師団(1st Armored Division)の本拠地。広大な訓練エリア(約120万エーカー)はテキサス州とニューメキシコ州にまたがり、ミサイル防衛、無人機運用、地上戦シミュレーションなどの最新訓練が行われています。
その広さは東京23区の約6倍。世界で2番目に大きい陸軍基地として、アメリカの防衛力を支える重要拠点となっています。
🧭 フォート・ブリスが語る「アメリカの歴史」
フォート・ブリスの歴史は、単なる軍事史ではありません。それは、アメリカという国がどのように拡大し、変化し、そして技術を発展させてきたかを映す鏡でもあります。
1848年の国境警備から、南北戦争、西部開拓、世界大戦、冷戦、そして現代のミサイル防衛へ――。フォート・ブリスは、まさにアメリカ軍の「過去・現在・未来」をつなぐ存在なのです。