Flushing Remonstrance

アメリカ「信教の自由」の原点
アメリカ合衆国では「信教の自由」は当然の権利として受け止められています。しかし、その考え方が文書として明確に示されたのは、独立宣言や合衆国憲法よりも100年以上前のことでした。
その原点の一つが、1657年に書かれた「Flushing Remonstrance(フラッシング抗議文)」です。
宗教弾圧の時代背景
17世紀半ば、現在のニューヨーク州はオランダ領ニュー・ネーデルラントでした。総督を務めていたのは、厳格なカルヴァン派信徒として知られるピーター・スタイヴェサントです。
彼はオランダ改革派教会以外の宗派、とくにクエーカー(友会)の活動を危険視し、集会の禁止や罰金、追放などの厳しい弾圧を行いました。
ところが、クイーンズ区の町フラッシングには、すでに信教の自由を認める憲章が与えられていました。この矛盾に対し、町の住民たちは声を上げることになります。
フラッシング抗議文とは何か
1657年12月27日、フラッシングの住民30名が連名で総督に提出した文書がFlushing Remonstranceです。
この抗議文で彼らは、次のような主張を明確に述べました。
- 信仰は国家が強制すべきものではない
- クエーカーに限らず、すべての人に良心の自由がある
- 宗教的寛容は社会秩序を乱すものではない
- 他者の信仰を尊重することこそがキリストの教えである
特筆すべき点は、署名者の多くがクエーカーではなかったことです。
彼らは自分たちの権利ではなく、「迫害されている他者の自由」を守るために行動しました。
弾圧と思想の勝利
スタイヴェサント総督はこの文書に激怒し、署名者の一部を逮捕・処罰します。しかし、宗教的寛容を重視していたオランダ本国は、総督の強硬姿勢を支持しませんでした。
結果として、フラッシング抗議文が掲げた思想は抑え込まれず、地域社会の中に生き残ります。そしてこの考え方は、のちのイギリス統治時代、さらにアメリカ独立期へと受け継がれていきました。
アメリカ史における意義
Flushing Remonstrance は、次の点で高く評価されています。
- アメリカで最も早く信教の自由を明文化した文書の一つ
- 合衆国憲法修正第1条の思想的先駆
- 「国家権力よりも個人の良心を優先する」という原理の明示
そのため、
「アメリカ最初の信教の自由宣言」
と呼ばれることもあります。
おわりに
Flushing Remonstrance は、華々しい独立戦争や建国の物語とは異なり、名もなき市民たちが良心に従って書いた一通の抗議文でした。しかし、その中に込められた思想は、現代アメリカ社会の根幹を形作っています。
信仰の自由とは、特定の宗教を守ることではなく、「他者の信仰を尊重する勇気」から始まる。
フラッシング抗議文は、そのことを350年以上前に私たちへ語りかけているのです。
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